渋沢栄一さんは、新紙幣の一万円札の肖像画に選ばれたことで知られていますね。また、渋沢栄一さんは歴史上の偉人としても知られており、学校の授業などで名前をきいたことがあるという人が多いのではないでしょうか。
様々な金融政策などに関わっていた渋沢栄一さんですが、愛人がいたというのは本当なのでしょうか。
そこで今回は、渋沢栄一さんの愛人は何人いたのか、子供、功績についても紹介します。
渋沢栄一の愛人は何人いた?
渋沢栄一さんは、1840年3月16日に武蔵国榛沢郡血洗島村(現・埼玉県深谷市血洗島)に生まれました。そんな渋沢栄一さんは官僚、実業家、教育者、慈善家、政治家として活躍し、「日本資本主義の父」と呼ばれています。渋沢栄一さんの功績は、現代日本経済の基盤を築いたとも言われていますが、愛人がいたというのは本当なのでしょうか。
それでは、渋沢栄一さんに愛人が何人いたのか詳しくみていきましょう。
正式な妻は2人
渋沢栄一さんは複数人の愛人がいたとされていますが、正式な妻は2人だけです。当時19歳だった渋沢栄一さんは、1人目の妻である尾高千代さんと結婚しました。しかし、尾高千代さんはコレラによって1882年42歳という若さでこの世を去ってしまいます。
そして、渋沢栄一さんは1年後の1883年に2人目の妻である伊藤兼子さんと結婚しました。
愛人の数は不明
渋沢栄一さんは女好きの艶福家として有名で、複数人の愛人を抱えていたと言われています。渋沢栄一さんの愛人の数は明確になっていませんが、数人から20人という説も出ているようです。
そして、渋沢栄一さんは奥さんがいながらも、愛人を自宅に住まわせていたとも言われています。渋沢栄一さんの愛人は、芸者や女中など多岐に渡るとも言われており、68歳の時に子供が生まれたという話もあるほど女性好きだったようです。
渋沢栄一の子供は?50人以上!?
68歳の時に子供が生まれたという話はかなり有名ですし、現代の感覚からすると、奥さんと愛人を同じ家に住まわせるというのはあり得ないことですよね。
ただ、渋沢栄一さんが生きていた時代は、現代とは常識などがかなり異なりますし、男性の立場がかなり強かったので、何をしても許されていたのかもしれません。
様々な女性と関係を持っていた渋沢栄一さんですが、子供は一体何人いたのでしょうか。
嫡子は7人
渋沢栄一さんの子供はかなりの数がいるとされていますが、嫡子は7人であると判明しています。
渋沢栄一さんと前妻・千代さんの間には、長男・篤二さん、長女・歌子さん、次女・琴子さんという3人のお子さんが生まれました。
そして、後妻である兼子さんとの間には、次男・武之助さん、三男・正雄さん、三女・愛子さん、四男・秀雄さんが生まれています。
このように、渋沢栄一さんの嫡子は7人とかなり多く、子供たちに朗読をするのが日課だったそうです。
婚外子は50人?
数多くの女性と関係を持ったと言われる渋沢栄一さんですが、婚外子の数は20人以上あるいは50人以上とも囁かれています。
実際に、どのくらいの婚外子がいたのかは分かっていませんが、愛人の数もかなり多かったのであり得ない話ではないですよね。
また、それだけ婚外子が多かったため、嫡子と同じクラスになっていた子もいたとされています。
渋沢栄一の名言や功績をまとめてみた
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渋沢栄一さんは女性関係が派手で、新紙幣の肖像画に名前が挙げられた際には、一部からは批判的な意見も出ていました。しかし、渋沢栄一さんが残してきた功績というのは非常に多く、立ち上げてきた企業の中には、現代で大手一流企業と呼ばれる会社も少なくありません。
また、渋沢栄一さんは様々な名言を残してきたと言われていますが、どういったものがあるのでしょうか。
それでは、渋沢栄一さんの名言や功績を振り返っていきましょう。
名言
渋沢栄一さんが残した名言はこのようになっています。
- もうこれで満足だという時は、すなわち衰える時である
- 長所を発揮するように努力すれば、短所は自然に消滅する
- 正しい道理の富でなければ、永続することができぬ
- お金は大切にせよ、そして軽蔑せよ
- 至誠を基として、道理に適うことでなければ一歩も動かぬ
渋沢栄一さんの名言は、常に高い目標に向かって努力することやお金の大切さ、向き合い方などを説いているものが多いですね。
実業界・金融の発展
渋沢栄一さんの功績は、数多くの企業の設立と育成に関わったことです。渋沢栄一さんは、生涯で約500もの企業や団体の創設・運営に携わったとされており、日本の近代産業の基盤づくりに大きく寄与します。
渋沢栄一さんが携わった代表的な企業としては、第一国立銀行(現在のみずほ銀行の前身)を設立し、日本における銀行制度の礎を築きました。また、東京証券取引所の設立にも関わり、資本市場の整備を進めるなど、経済活動の仕組みそのものを整えた点が非常に重要です。
近代産業の基盤を作る
渋沢栄一さんは近代産業の発展にも深く関与しています。
渋沢栄一さんは製紙業の王子製紙や、ガス事業の東京ガスなど、多岐にわたる分野で企業の設立や支援を行いました。これにより、日本国内におけるインフラや生活基盤の整備が進み、国民生活の向上にもつながりました。インフラや生活基盤の整備は、現代にも残っているので、その功績は凄まじいと言えるのではないでしょうか。
このように、渋沢栄一さんは特定の業種に偏ることなく、社会全体の発展を見据えた経済活動を行っていた点が特徴です。
教育・慈善事業に尽力
渋沢栄一さんは金融を発展させただけではなく、教育・慈善事業に尽力したとも言われています。
渋沢栄一さんは多くの学校や社会事業の設立にも関わり、人材育成や社会福祉の向上にも力を注ぎました。例えば、商業教育の発展に寄与した一橋大学の前身となる教育機関の支援や、医療・福祉施設の設立にも尽力しています。これにより、日本の近代化に必要な人材の育成と社会基盤の整備が進みました。
渋沢栄一さんが関わった社会公共事業としては、日本赤十字社などが挙げられ、その数は約600とも言われています。
まとめ
今回は渋沢栄一さんの愛人は何人いたのか、子供、功績についても紹介しました。
渋沢栄一さんのプライベートは、お世辞にも良いとは言えませんが、彼が残した功績があったからこそ、今の日本があると言っても過言ではないのではないでしょうか。
また、渋沢栄一さんの子供も様々な分野で活躍していたので、父親の考えや能力を受け継いでいたのかもしれないですね。









