【野球】高3の夏から10年・・・大谷翔平選手の甲子園出場歴は?

【野球】高3の夏から10年・・・大谷翔平選手の甲子園出場歴は?

【野球】高3の夏から10年・・・大谷翔平選手の甲子園出場歴は?

2021年、2022年と2年連続でMLB オールスターに出場した大谷翔平選手。2022年は二桁勝利、二桁本塁打を104年ぶりに記録し、ベイブ・ルース選手以来の大記録を達成しました。

大谷翔平選手はプロ入り後、素晴らしい成績を残し続けていますが、プロ入り前の高校時代はどのような選手だったのでしょうか。

そこで今回は、大谷翔平選手の高校時代の成績をまとめ、その時の海外の反応についても紹介していきます!

目次

花巻東高校時代の大谷翔平選手

大谷翔平選手が進路選択を考えていた中学3年生の時、花巻東高校が菊池雄星投手を擁してセンバツ準優勝に輝きました。その活躍に刺激を受けた大谷翔平選手は、花巻東高校へ進学を決意します。

高校1年生

入部後から投打ともに抜きん出た存在であったようですが、佐々木洋監督の「まだ骨が成長段階にある1年夏迄は野手として起用して、ゆっくり成長の階段を昇らせる」という方針により、1年生の夏は「4番・右翼手」で公式戦に出場していました。

体格も出来上がっていくにしたがって投球機会が増えていき、秋からはエースを務め、最速147km/hを記録しました。しかし、1年生の間は甲子園の出場はありませんでした。

ちなみに、当時ドジャースの在日スカウトをされていた小島氏が、高校1年生の大谷翔平選手が出場した練習試合を観戦していた際に「花巻東高校の大谷翔平は投げること、打つこと、どちらも日本の歴史の中でナンバーワンの選手になる」というスカウティング・リポートを送っています。この時点から、海外の反応も上々であったと言えますね。

高校2年生

春季大会で最速151km/hを記録したことで「みちのくのダルビッシュ」と呼ばれ注目を集めるようになりました。

夏の甲子園(第93回全国高等学校野球選手権大会)出場

夏の甲子園では、大会前の練習試合で発症した左足の骨端線損傷(痛みが発生した当初は大谷選手を含めて肉離れだと思っていた)の影響により、思うような成績を残すことができません。

初戦の帝京高校戦に右翼手として先発出場、4回途中から登板し、150キロ(当時、田中将大投手に並ぶ甲子園での高校2年生の最速タイ)を記録。その後は治療に専念し、試合には打者限定での出場にとどまりました。

春のセンバツ(第84回選抜高等学校野球大会)出場

初戦で、現在阪神タイガースで活躍する藤浪晋太郎投手を擁する大阪桐蔭高校と対戦。投げては5回まで2安打無失点6奪三振の好投を、打っては藤浪投手から本塁打も放ちました!最終的に8回2/3を11奪三振を奪いましたが、試合後半で突如制球が乱れ、11四死球で9失点(自責5)で敗退してしまいました。

このように、2年生では夏春連続で甲子園に出場しましたが、勝利を挙げることはできませんでした。

高校3年生

最後の夏は、全国高等学校野球選手権岩手大会の準決勝・一関学院高校戦でアマチュア野球史上初となる160km/hを記録し、入学当初の目標の1つを達成しました。この試合は7回を3安打1失点13奪三振の快投でチームもコールド勝ち決勝進出を果たしました。

決勝の盛岡大学附属高校戦では、多彩な変化球を操り15奪三振と力投するも、味方のミスや相手チームによる本塁打などで5失点を喫し、高校最後の夏の甲子園出場はなりませんでした。

大谷翔平選手の甲子園通算成績

甲子園での大谷翔平 成績2年生の夏、春の2回出場し、投手としては14回を投げ防御率3.77、16奪三振。野手としては2試合で打率.333、1本塁打でした。この本塁打はプロ入り後もライバルとして切磋琢磨をしていく藤浪晋太郎投手から放った1本で非常に価値のあるものとなりました。

まとめ

MLBで多くの歴史を作り上げている大谷翔平選手。甲子園の出場は2回のみ、かつ共に初戦敗退と、大谷選手のスケールからしたら物足りない結果となりましたが、随所で超一流の片鱗を見せ、口腔卒業後すぐMLB挑戦を明言していたにもかかわらず、日本ハムによる熱心な説得によりNPBでプロ野球人生をスタートさせました。

大谷選手ですら甲子園の出場が2回のみとなっているのでいかに狭き門かわかりますよね。

今年も多くの高校球児が甲子園出場を果たし、反対に有望とされていた選手が地方大会で敗退をしました。それぞれの経験が野球に限らずその後の人生に大きな影響を及ぼすことは間違い無いでしょう。今年は高校生から何人指名を受けるのか、楽しみです!

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