黒柳徹子の家系図がスゴすぎる!幼少期の破天荒エピソードもまとめ

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黒柳徹子の家系図がスゴすぎる!幼少期の破天荒エピソードもまとめ

この記事では、黒柳徹子さんの家系図や幼少期のエピソードについて調査します。黒柳徹子さんといえば、幼少期から「トットちゃん」と呼ばれ愛されてきた子どもでした。現在は92歳ですが、長寿番組『徹子の部屋』に出演したり、Youtubeチャンネルの運営を始めたりと、精力的に活動しています。筆者は黒柳徹子さんの著書『窓ぎわのトットちゃん』が大好きで、内容を覚えるほど読んでいました。そんな著書に散りばめられている、黒柳徹子さんの破天荒エピソードも盛り込んでいきます!

目次

黒柳徹子の家系図がスゴすぎる!

まずは、黒柳徹子さんの家系図からご紹介します。

名前続柄プロフィール
門山周通祖父開業医
門山修二叔父「経済日報」元社長
田口桜村伯父松竹蒲田撮影所の初代所長
田口修治伯父カメラマン 日本ニュース社のニューヨーク支社長やアメリカ・メトロニュースの極東代表を務めた
黒柳守綱(もりつな)ヴァイオリニスト 新交響楽団(NHK交響楽団の前身)のコンサートマスターを務めた経験がある
黒柳朝(ちょう)エッセイスト
黒柳徹子本人タレント 俳優
黒柳明児(めいじ)9歳で早世
黒柳紀明ヴァイオリニスト
黒柳眞理エッセイスト 美容師 バレリーナ
黒柳貴之一般人のため不明

父親はヴァイオリニスト・黒柳守綱

黒柳徹子さんの父親は、ヴァイオリニストの黒柳守綱さんです。NHKの交響楽団(新交響楽団)出身で、なんと主席ヴァイオリニストとして公演全体を統率する「コンサートマスター」という職務を担っていました。若い頃には第二次世界大戦を経験しており、シベリア抑留者でもありました。妻・朝さんとの結婚で婿養子となっています。黒柳徹子さんのことは「トット助」と呼び、優しく穏やかな父親だったそうですよ。

母親はエッセイスト「チョッちゃん」こと黒柳朝

黒柳徹子さんの母親は、エッセイストの黒柳朝さんです。実家は松山藩の家臣だそうで、父親は開業医をされていた、生粋のお嬢様です。黒柳徹子さんは、子どもながらに母親のことを「きれいな人」だと思っていたくらい、朝さんは美人な母親だったそうです。朝さんはずっと専業主婦をされていましたが、70歳を超えて『チョッちゃんが行くわよ』で作家デビューを果たし、ベストセラー記録しているんですよ。

弟は9歳で早世

黒柳徹子さんには、2歳年の離れた弟・明児さんがいました。明児さんは9歳のとき、敗血症で他界しています。明児さんが亡くなったとき、黒柳徹子さんは11歳だったとみられますが、ご本人は明児さんについての記憶がほとんどないと語っています。敗血症のためおそらく入院していて、黒柳徹子さんはあまり面会にも行けなかったのかもしれませんね。明児さんが亡くなったときは戦時中で、医療体制も整っていなかったのでしょう。

ヴァイオリニストの弟も

黒柳徹子さんには、父親と同じくヴァイオリニストをしている弟さんもいます。黒柳紀明さんといって、NHK交響楽団の元団員です。ベルリン芸術大学への留学経験もあるエリートで、父親の才能を受け継いでいるとされました。フロイデフィルハーモニーで第二ヴァイオリンのトップを務めたほか、第165回「宇宿允人の世界」ではヴィオラで出演しました。

妹はコメンテーターも

黒柳徹子さんの妹・黒柳眞理さんは、元バレリーナ、エッセイスト、美容師というマルチな肩書を持つ人物です。バレリーナとして将来が有望視されていた矢先、ケガによりバレエ団を退団。その後美容師に転身し、元プロ野球選手の井石礼司さんと結婚し子どもにも恵まれました。在住する北海道のテレビ番組でコメンテーターとして出演もしていましたよ。

黒柳徹子のプロフィール

黒柳徹子さんは、1933年8月9日に東京都港区赤坂で生まれました。もともとは、ヴァイオリニストの父親と専業主婦として夫を支える母親のもとで、裕福な暮らしをしていたとみられます。のちにNHK放送劇団に加入し女優デビューをすると『徹子の部屋』や『ザ・ベストテン』そして『世界ふしぎ発見』など、地上波の長寿人気番組で活躍。ヴァイオリニストである父親に憧れ、オペラ歌手になることを夢見ていたそうですよ。しかし、難易度の高さに打ちのめされ断念。現在はユニセフ親善大使を務め、世界平和の実現に向けて尽力していますよね。

黒柳徹子の幼少期が破天荒すぎた!

黒柳徹子さんは、バラエティー番組やトーク番組で披露する独特の話し方や言葉選びが魅力です。知的な雰囲気を醸し出しながらも、ファッショナブルで愛されるキャラクターをしています。そんな黒柳徹子さんは、実に破天荒な幼少期を過ごしてきました。現代の多様化した生き方にもつながる、黒柳徹子さんの華やかでハプニング満載の幼少期エピソードを見てみましょう。

小学校1年生で学校を退学!?

黒柳徹子さんは、小学校に入学したばかりのときに退学処分となっています。黒柳徹子さんは自宅近所にある公立尋常小学校に入学しましたが、当初から多動衝動性がみられていました。授業中に机の蓋を何度も開け閉めしたり、窓の外の通行人や犬、鳥などにひたすら話しかけたりして、授業を妨害しているとみなされてしまいます。そして、担任の先生から「よその学校にお連れください」と言われ、母親・朝さんが探した学校「トモエ学園」へ転入することになったそうです。

校長先生に4時間ものマシンガントーク

黒柳徹子さんは、転入することになったトモエ学園の校長・小林宗作先生と面談をした際、なんと4時間もの間お話をしたそうです。それも、小林先生はあいづちを打つだけで、ほとんど黒柳さんのマシンガントークだったとか。このとき、太平洋戦争が刻一刻と迫る1940年代前半。世界が緊迫感に包まれる中、子どもたちの個性と笑顔を何よりも大切にしてくれた小林先生のことを、黒柳さんはずっと尊敬しているそうですよ。

参考:コクリコ

まとめ

黒柳徹子さんの家系図や、幼少期の破天荒エピソードをご紹介しました。黒柳徹子さんはご本人も華やかな経歴をお持ちですが、家系図に出てくる人物も偉大な方ばかりでしたね。現在92歳で、まだまだ食事や仕事を楽しまれている黒柳徹子さん。明るく知的で、見ているだけで元気をもらえるような存在ですよね。戦時中の疎開を経験し苦労もされてきたであろう黒柳徹子さんですから、元気で健康に過ごしていただきたいですね。

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