藤原道長の家系図をわかりやすく解説!妻は何人?愛人はいた?

藤原道長の家系図をわかりやすく解説!妻は何人?愛人はいた?

大河ドラマ『光る君へ』でおなじみ、藤原道長の家系図をわかりやすく解説します。ドラマを見ていると、登場人物のほとんどが「藤原」なので、相関図や家系図をいまいち理解できていないという人がいるかもしれません。この記事では藤原道長の家系図を解説するとともに、妻や愛人、子どもについても調べてみたいと思います。ドラマ『光る君へ』で紫式部の幼なじみとして描かれている藤原道長について知りたい人は、ぜひ最後までご覧ください!

目次

藤原道長の家系図をわかりやすく解説

それでは、藤原道長の家系図をわかりやすく解説していきましょう。

曾祖父藤原忠平
曾祖母源昭子
祖父藤原師輔(もろすけ)
祖母藤原盛子(せいし)
父親藤原兼家(かねいえ)
母親藤原時姫(ときひめ)
兄弟藤原道隆
兄弟藤原道兼
兄弟藤原詮子(あきこ)
本人藤原道長
源倫子
次妻源明子
長女藤原彰子(母・倫子)
長男藤原頼通(母・倫子)
次男藤原頼宗(母・明子)
次女藤原姸子(母・倫子)
三男藤原顕信(母・明子)
四男藤原能信(母・明子)
五男藤原教通(母・倫子)
三女藤原寛子(母・明子)
四女藤原威子(母・倫子)
五女藤原尊子(母・明子)
六男藤原長家(母・明子)※倫子と養子縁組
六女藤原嬉子(母・倫子)

藤原道長の家系図を見ると、藤原道長の子どもを産んでいたのは源倫子と源明子という2人の女性でした。倫子が正室で、明子が妾妻といわれていますよ。

藤原道長の母は謎に包まれている

藤原道長の母は藤原時姫(ふじわらの・ときひめ)といい、藤原道長を含む5人の子どもを出産しています。しかし、夫である藤原兼家が摂政になる前に亡くなっているため、伝記について知らされている情報が少ない人物の1人です。藤原道長ら兄弟は父・兼家から大いに期待され育ちましたが、それは藤原時姫が正室だったからではないかともいわれています。兼家の妾妻の一人息子・道綱は出世しなかったとされ、正室である藤原時姫やその子どもたちは扱いが違ったのだそう。

藤原道長と2人の妻との関係とは

藤原道長には2人の妻がおり、それぞれに子どもを身ごもらせ計12人の男女をもうけました。道長の家庭の中枢を担った2人の妻のうち、倫子はほぼ毎日藤原道長とともに過ごしていた一方、明子とは時々会う程度だったことから、のちに性質は倫子であったといわれるようになりました。明子は正室・倫子への対抗意識が強く、自分の子どもも出世させるよう藤原道長に要求するタイプだったそう。このことから、さらに藤原道長は明子から気持ちが離れていったといわれています。

藤原道長の子どもはどんな道を歩んだ?

藤原道長には6男6女、計12人の子どもがいました。長女の藤原彰子は12歳で一条天皇のもとに入内し、敦成親王や敦良親王を出産しています。三男の藤原顕信は突然出家し両親を心神喪失させたり、三女の藤原寛子は幼子を残して27歳で亡くなったりと、順風満帆ではありませんでした。藤原道長の末っ子・藤原嬉子は、のちの後冷泉天皇を出産後、現在でいう「麻疹」にかかり亡くなっています。そして、その後冷泉天皇が即位した年に、祖母である源倫子が亡くなっています。

まとめ

平安時代の貴族社会における最高権力者・藤原道長の家系図をご紹介してきました。名字がほとんど「藤原」である周辺の人物や、ドラマ『光る君へ』の登場人物たち。関係性が分からないという視聴者も多かったのではないでしょうか。特に注目されている藤原道長は、家系図を見ると摂関政治の全盛時代を築き上げた、時代の中心的存在だったことが分かります。名前が似ていて分かりづらい一族の1つですが、大河ドラマと組み合わせながら歴史的背景を理解するのも面白いですね。

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