琴ノ若の家系図がスゴい!父は元関脇の相撲一家!生い立ちや経歴まとめ

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琴ノ若の家系図がスゴい!父は元関脇の相撲一家!生い立ちや経歴まとめ

この記事では、大関に昇進した琴ノ若(現・琴櫻)さんの家系図を調査しました。琴ノ若さんの父親は元関脇で、相撲一家に生まれ育ちました。佐渡ヶ嶽部屋所属で、父親も祖父も力士。2024年1月に大関に昇進した際は琴ノ若の名前を維持していましたが、5月の番付発表と同時に、正式に琴櫻を襲名。琴ノ若さんの出身は千葉県ですが、千葉県出身の力士が大関に昇進するのは実に69年ぶりのことだったそうです。そんな琴ノ若さんの輝かしい家系図をご紹介します。

目次

琴ノ若の家系図がスゴい!

それでは、琴ノ若さんの家系図を見てみましょう。

しこ名本名関係性プロフィール
琴櫻(初代)鎌谷 紀雄母方の祖父第53代横綱
琴ノ若 晴將鎌谷 満也佐渡ヶ嶽部屋に所属した元大相撲力士(元関脇)
鎌谷 真千子鎌谷 真千子初代琴櫻の長女
琴ノ若(琴櫻 将傑)鎌谷 将且(かまたに まさかつ)本人大関

琴ノ若さんは、元関脇・琴ノ若晴將(ことのわか・てるまさ)さんと鎌谷真千子さんの間に生まれた一人っ子です。琴ノ若さんの家系図を見ると、祖父の代から横綱や関脇など、錚々たる地位の力士がいたことが分かりますね。その中でも、祖父・初代琴櫻さんの地位である「横綱」まであと1つの番付となった琴ノ若さんは、大関昇進とともに祖父のしこ名を継承することになりました。

参考:松戸市

琴ノ若の生い立ち

ここからは、サラブレッド力士・琴ノ若さんの生い立ちについて見てみましょう。第53代横綱である初代琴櫻の孫として生まれた琴ノ若さんは、生まれたときから力士になるべく英才教育をされてきました。千葉県出身の琴ノ若さんは、柏市にある相撲教室に通い特訓。ご両親からも祖父からも厳しく育てられたという琴ノ若さんですが、性格は「お坊ちゃん気質」でおとなしい子どもだったそうですよ。では、どんな幼少期を過ごしてきたのか見てみましょう。

幼少期から別格の存在だった

2歳の頃から相撲を始め、幼少期から祖父に相撲の基本を叩き込まれた琴ノ若さん。幼稚園の頃からご飯を茶碗5杯ほどたいらげたり、ちゃんこ鍋をたしなんだり、力士になるべくして生まれたような子どもだったそう。3時のおやつは、お菓子ではなくおにぎりだったとか!また、身体が大きいために小学生の頃はランドセルが背負えず、祖父に特注で買ってもらったといいます。

祖父の死去で目標を失う

そんな琴ノ若さんは、家系図でも最高位である横綱の祖父から相撲の稽古を受けていましたが、琴ノ若さんが小学4年生のときに祖父が亡くなります。一時は目標を失ってしまった琴ノ若さんですが、祖父の思いを継ぐために相撲を続けてきました。幼少期、相撲大会で銀メダルを獲得した際、祖父から「最後は誰かに負けたんだろ」と怒られたことを思い出し、我に返ったというエピソードもあります。しかし、相撲を抜きにすると平穏な祖父と孫で、稽古帰りに銭湯に行きアイスを買ってくれる祖父が大好きだったそうです。

母も厳しかった相撲一家

琴ノ若さんは相撲一家に生まれ、中学校に進学すると同時に親元を離れることになります。母親からは「逃げて帰ってこないように。帰ってきてもあなたの住むところはありません」と厳しい言葉をかけられ、稽古に励んだそう。家族からは、中学校を卒業したら入門するよう言われていましたが、琴ノ若さん本人が相撲で食べていける自信がなかったため、高校に進学し勉学にも力を入れてきたそうですよ。

参考:日刊スポーツ

高3で飛躍!父親が親方に

琴ノ若さんは家系図にもある通り、力士の祖父と父を持つサラブレッド。しかし、高校生になりスポーツコースに進学してもなお、予選でレギュラーを外れるほど弱かったそうです。高校3年生から飛躍し始め、主将を務めるだけでなく、世界ジュニア相撲選手権大会では団体戦と個人戦で優勝するまでになります。その後、父親が師匠を務める佐渡ヶ嶽部屋に入門。師匠の琴ノ若さんは、どの力士に対してよりも厳しく接したそうです。大関昇進、そして琴櫻襲名時に琴ノ若さんは「楽なことがなかった」と、その厳しい日々を回顧しました。

琴ノ若の祖父・初代琴櫻について

琴ノ若さんが大好きだった、そして尊敬してやまなかった祖父・初代琴櫻さんについてご紹介します。初代琴櫻こと鎌谷紀雄さんは、警察官の子として鳥取県で生まれ育ちました。幼少期は実父から柔道を仕込まれ、才能を発揮し柔道の全国大会に出場したこともありました。そして、佐渡ヶ嶽親方から見初められ入門します。琴櫻さんは、高校を卒業扱いのまま中退するという特別待遇をされるほどの逸材だったそうです。

強すぎて稽古相手がいなかった

琴櫻さんは突き押し、ぶちかまし、そしてのど輪で一気に攻める押し相撲を得意とし「猛牛」と呼ばれる力士になりました。なんでも、強すぎて自分の部屋に稽古相手がおらず、出羽海部屋へ出稽古を行っていたほどだったそうですよ。勝つために最善を尽くさない「無気力相撲」を指摘された時期もありましたが、娘さん(のちの初代琴ノ若の妻)が誕生してから「胸を張れる成績を残しておかなきゃ」と奮い立ったといいます。

引退と死去

琴櫻さんは1975年に引退し、年寄・白玉を襲名。しかし、そのわずか10日後に親方である佐渡ヶ嶽さんが亡くなったため「佐渡ヶ嶽」を襲名し部屋を継承しました。めんどうみが良く、弟子たちから慕われる親方だったそうです。1996年には、一人娘が結婚。夫となったのは、初代琴ノ若となった琴ノ若晴將さんです。そして翌年に、溺愛する孫・琴櫻将傑さんが誕生しました。

琴ノ若の父・初代琴ノ若について

続いて、琴ノ若さんの父で元関脇の琴ノ若晴將さんについて見てみましょう。琴ノ若晴將さんは上記で述べたように、琴櫻さんの娘さんの夫として、琴櫻さんと養子縁組を組んでいます。美男子で、女性ファンの多い力士でした。琴ノ若晴將さんは中学校に入学した時点で身長が180cmを超えるなど、卓越した体型に恵まれていました。いつか横綱になるとまでいわれた堂々とした体つきで、持って生まれた素質が注目されていた琴ノ若晴將さん。どのような経歴を辿ってきたのでしょうか。

琴櫻から熱烈アプローチ

琴ノ若晴將さんは幼少期から、柔道に砲丸投げなどスポーツ万能な少年として、地域では有名人だったそうです。この頃から、のちに義父となる琴櫻さんに熱烈なスカウトを受けていました。最終的には琴櫻さんの熱意に折れて入門。素質があったものの、大事な取り組みにはめっぽう弱かったという琴ノ若晴將さん。出世はやや遅れ気味でしたが、横綱や大関を倒すこともあったそうですよ。

師匠の娘と結婚し子宝に恵まれる

琴ノ若晴將さんは1996年、師匠だった琴櫻さんの娘さんと結婚し、婿入りします。このとき、自身が佐渡ヶ嶽部屋を継承することが決まりました。結婚の翌年に生まれた息子・将且さんとは自身の引退相撲を行い「琴ノ若」の四股名を継承させています。力士として息が長かったことから「相撲が好きな力士」と呼ばれることもあったそうですよ。

まとめ

大関に昇進し初優勝を達成した、琴ノ若さんの家系図を調査しました。相撲を題材にしたNetflixドラマ「サンクチュアリ –聖域-」など、相撲に関心を持つ人が増えているなか、父親は元関脇、祖父は元横綱と、類まれなる相撲一家のサラブレッドとして生まれた琴ノ若さん。父親の番付を超える大関となり、祖父が上り詰めた「横綱」まであと一歩となりました。先代から、人々への感謝の気持ちを忘れずに相撲に取り組むことを教えられてきたという琴ノ若さんは、祖父と同じ相撲の最高位を目指して邁進し続けることでしょう。

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